※この記事は広告を含みます。
目の前の現実は、心の眼が決める。
改めて、そう感じる瞬間があった。
きっかけは母だ。
母と旅行中、バラ園に行った時のこと。
母の何気ない言葉が心に響いた。
人の心の温かさや豊かさは
何気ない瞬間に垣間見える気がする。
満開の花を見て「美しい」と感じる人は多いだろう。
写真を撮るにしろ、満開に咲いた花が人気だ。
枯れた花を、あえて写真に残そうとする人は少ないだろう。
満開の薔薇の横に、しおれて枯れた薔薇。
そんな枯れた薔薇を見て
母は
「頑張ったね。」
と言った。
そして枯れた薔薇を優しく労わるように手を当てた。
きっと母は覚えてもいないだろう。
あまりにも自然な言葉だったから。
私は、その言葉で気が付いた。
今満開の薔薇の花も、枯れた薔薇の花も、同じ種から育った同じ薔薇だということ。
蕾も、満開の花も、しおれた花も、皆同じだ。
枯れた花、咲いた花、薔薇の花を見ながら、私はワンネスを感じた。
同時に
自分の目の前にある出来事を良くも悪くも判断しているのは自分自身で
いつでも、物事の美しさや、その価値は【自分の心の眼】が決めているということを再確認した。
枯れた花を労ることができるのは、枯れた花の美しさを感じることができるということ。
【枯れた花なんて興味ない】
よりも
【頑張って咲いたんだね、おつかれさま】
そんな風に感じることができる心があれば…
毎日は、きっと今よりも少し豊かで幸せで平和だろう。
バラ園での何気ない母との会話の中に、母の心の優しさを感じた瞬間だった。
それから、枯れた花を見る度に思う。
「頑張って咲いたんだね。」
そしてまた時が来たら咲く。
枯れるのは終わりじゃない。
新しい始まりに繋がる過程だ。
枯れた花、咲いた花だけの話ではない。
どんなことが起きても、その物事をどのように捉えるか、感じるか、受け止めるかは、いつでも自分の心の眼が決めている。
心の眼は自分自身だ。
心の眼が現実を決める。
だからこそ、心を耕し、心を豊かに生きていきたい。
母の何気ない一言から、ただただそんなことを感じた。
なんだか優しい気持ちになった。
ありがとう、お母さん。
ご愛読ありがとうございました。
Saori
コメント